椿と吸殻


冷たい側溝の掃き溜まり。通りの花が最期に行き着くところ。



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 マイケル・ナイマンという作曲家が好きで、彼が音楽を手がけたということで観た映画「リバティーン」。
 17世紀英国の貴族にして天才詩人の破滅型人生のお話と聞いて楽しみにしていたのだけれど、単に地位もお金も*1才能にも、美貌にも恵まれているのに、甘ったれの性格で周りに迷惑かけまくりの挙句、全てを無駄遣いしてしまいましたとさ、というお話にしか見えず。
 王政に反対のアウトローを気取るなら、決めるところは決めてみろよ!みたいな。絶好の舞台もあったのにね。っていうか、君、その体制に守られてるから、好き放題できたのではないの…と。いや、それこそがイマドキの空気と合ってるのかもしれないとナナメに考えてみたり。

 だから、彼が唯一愛し育てた女優が別れに「観客はあなた(の脚本)を見にくるんじゃない、私(の演技)を見にきているの」と言って、去って行ったのは痛快。

 それでもジョニー・デップはいいな、と。彼じゃなかったら最後まで観られなかったかもしれない。理屈を超えて、まぁ、そういう人がいてもしょうがないかと思わせてくれる。そういう意味で脚本(プロデューサーというか)じゃなくて、演者で観るというのは当ってるのか。梅毒に犯されると最終的にはこんな顔になりますよ、というところまで熱演。グズグズに崩れていても、ある種の佇まいがあるのはジョニー・デップだからこそなのだろうか。


 そして、ああこんな風に効果的に音楽が使われていたのかとしみじみ。


 去年、マイケル・ナイマンバンドの日本公演時に、映画は公開前だったけれど会場で売っていたサントラ盤を買って、何度も聞いておりました。
 

Libertine

Libertine

*1:そのお金の作り方にはかなり問題はあるにせよ。